古代ローマ コインの歴史的分類

 

古代ローマのコインを時代的な背景、貨幣制度の確立、貨幣制度の大きな改革を成し遂げた時期から次のように大きく3つに分類しました。

■ ローマ共和政(289B.C.頃〜27B.C.)  
 289B.C.年頃、貨幣制度が制定され造幣担当官3人によってカピトリヌス丘のユーノー・モネータ神殿で製造が開始されています。当初は、青銅を素材とする青銅貨が製造されAes Grave(重い青銅貨)として知られています。
  銀貨については、211B.C.年頃にローマで最初に銀貨が鋳造されたという説が現在の貨幣研究者達の最有力説となっています。これが有名なデナリウス銀貨の始まりで当時の貨幣制度では青銅貨が中心でしたが銀貨へと移行させていくきっかけになったとされています。

■ ローマ帝国(27B.C.〜491A.D.)
共和政末期においてインペリウムを握った将軍達が必要に応じ各々コインを鋳造するようになります。オクタヴィアヌスは、27B.C.年元老院からアウグストゥスの称号を授かると貨幣制度改革に着手します。
額面的な価値と素材価値を十分加味した金・銀・銅の貨幣システムを展開させ帝国全体に基軸通貨として流通させるような施策を行っていきます。
中でも世界中のコインコレクターを魅了してやまない理由の一つとなった施策で、 コインの表裏に肖像や自分の行った施策実績等を刻み込ませ市民に対し宣伝を行うのです。
これは、44B.C.年 カエサルがローマ貨幣史上最初に始めたことでアウグストゥス帝がその施策を踏襲することにしました。そしてその後の歴代皇帝達に引き継がれていくことになったのです。

■ ビザンツ帝国(491A.D.〜1453A.D.)
 西ローマ帝国が蛮族の侵入によって滅亡していったのとは対照的にビザンツ帝国(東ローマ帝国)は、ゼノン帝の後を継いだアナスタシウスによって政治的にも経済的にも不動の帝国の基礎を築くことに成功します。
アナスタシウス帝は、貨幣制度改革に取り組み財務基盤を確立します。 金・銀については、何の変更も加えず銅貨のシステムを大幅に変更することだけに取り組んだのです。
市場では、偽鋳造貨が出回り小額通貨の安定的価値が保障されるシステムが求められておりそれに応えることのできる新銅貨システムの導入を行い期待に応えたのでした。このシステムは、この後の皇帝達からも支持され350年もの間継続されました。